低学年・中学年では素直に書いていた子が、高学年になると急に書かなくなる。「別に」「特にない」の一行だけ。あるいは白紙——。振り返りジャーナルを続けている先生なら、一度は経験する「高学年の壁」です。
今回は、なぜ高学年で書かなくなるのか、その背景と、教師にできる対応を考えてみたいと思います。
書かなくなるのは、成長の証でもある
まず、大切な視点から。高学年で書かなくなるのは、多くの場合、退化ではなく成長の表れです。
思春期に入りかけた子どもたちは、自意識が急速に育ちます。「先生に本音を見せるのが恥ずかしい」「どう思われるか気になる」。これは、他者の目を意識できるようになった、心の発達の証拠なのです。
また、大人への軽い反発心も芽生えます。「書かされている」ことへの抵抗。これも、自我が育っている証です。つまり、「書かない」の背景には、その子なりの理由がちゃんとある。まずそれを理解することが、対応の出発点になります。
やってはいけない対応
先に、逆効果になりがちな対応を挙げておきます。
一つは、書くことを強制すること。「ちゃんと書きなさい」と迫れば迫るほど、心は閉じていきます。ジャーナルが「やらされる作業」になった瞬間、本音は二度と出てきません。
もう一つは、白紙や一行を責めること。「またこれだけ?」という一言は、その子の中のジャーナルを完全に殺します。書かない自由も認める。その余裕が、いつか戻ってくる余地を残します。
「高学年の壁」への処方箋
1. 量を問わない姿勢を、明確に伝える
「一行でもいい。書きたくない日は『今日はパス』でもいい」。これを言葉にして伝えます。書く自由と書かない自由の両方を保障された子は、逆説的ですが、少しずつ書くようになります。強制の圧力が消えると、書くことが「自分の選択」に変わるからです。
2. お題を「安全なもの」に変える
内面を直接問うお題(「今の悩みは?」)は、思春期の子にはハードルが高い。そこで、少し距離のあるお題に変えます。「最近ハマっているもの」「おすすめの曲」「今日の給食の評価」。
一見浅いお題ですが、これが効きます。安全な話題でやりとりが続いていれば、関係の糸は切れません。そして、ふとしたときに、その糸を通じて本音がこぼれてくることがあるのです。
3. コメントを「評価ゼロ」にする
思春期の子は、評価の匂いに敏感です。「よく書けたね」すら、上から目線に感じることがあります。コメントは、感想と共感だけに徹します。「その曲、先生も好き」「それは面白いね」。
対等な一人の人間として応答してもらえていると感じたとき、高学年の子は少しずつ、心の扉を開き始めます。
4. 書かない子とは、別の糸を持つ
それでも書かない子はいます。そのときは、ジャーナルにこだわらないこと。休み時間の雑談、係活動でのやりとり、目が合ったときの一言。つながる糸は、ジャーナルだけではありません。
ジャーナルは手段であって、目的ではない。その子とつながることが目的なら、糸は何本あってもいいのです。
おわりに
高学年の壁は、多くの教室で起こる自然な現象です。書かなくなったことに落胆するのではなく、「自意識が育ってきたんだな」と受け止める。そして、強制せず、安全な話題で糸をつなぎ、評価せずに応答し続ける。
思春期の入り口に立った子どもたちに必要なのは、「書かせる技術」ではなく、「書かなくても見捨てない大人」の存在です。その安心感の先に、その子のペースで、また言葉は戻ってきます。焦らず、待ちましょう。
