想像してみてください。道路の脇に、警察官が立っています。目の前で、一人が信号無視をしました。警察官は、見て見ぬふりをしました。
翌日も、その一人は信号を無視します。警察官は、またスルーします。さて——それを見ていた周りの人たちは、どうするでしょうか。
「なんだ、渡ってもいいんだ」。一人、また一人と、信号を無視し始めます。そして気づいたときには、誰も信号を守らなくなっている。ルールは、破られた瞬間に死ぬのではありません。破られたのを見逃された瞬間に、死ぬのです。
今回は、この話を軸に、反抗期の生徒との「格闘」について書きたいと思います。きれいごとではない、現在進行形の話です。
教室の「信号無視」は、一人から始まる
中学1年の教室。思春期の入り口に立った生徒たちは、大人を試してきます。とくに、知恵がついて、口も達者になってきた反抗期の女子生徒たち。授業中の私語、指示の無視、あからさまな不服従。「これ、やったらどうなる?」という小さな信号無視を、教師の目の前で試してくるのです。
ここで教師には、二つの道があります。一つは、スルーする道。「あの子は反抗期だから」「関係を悪くしたくないから」と、見て見ぬふりをする。その場は平和です。衝突も起きません。
でも、教室には他の生徒たちがいます。まじめに信号を守っている生徒たちが、その光景をじっと見ています。「あの子は許されるんだ」「先生は見逃すんだ」。この瞬間、学級のルールは静かに崩れ始めます。崩壊は、派手な事件からではなく、一人の逸脱が見逃されたところから始まるのです。
スルーの先にあるのは、全員の不幸
誤解しないでほしいのですが、私は「厳しく取り締まれ」と言いたいのではありません。スルーの先にあるものを、冷静に見てほしいのです。
一人の逸脱を見逃し続けた学級は、どうなるか。まず、まじめな生徒が損をします。「守っている自分がバカみたいだ」。次に、境界線を試す生徒が増えます。そして最終的には、最初に信号無視をしていたその子自身が、いちばん不幸になる。誰にも止めてもらえないまま逸脱がエスカレートし、取り返しのつかないところまで行ってしまうからです。
つまり、スルーは優しさではありません。その子を含めた全員を、ゆっくり不幸にする選択です。だからこそ、正しいことは、言い続けなければならない。たとえ、その瞬間は嫌われても。
「親を敵に回すかもしれない」という壁
ここで、多くの教師の足を止める壁があります。保護者です。
反抗期の生徒を指導すれば、当然、本人は面白くない。家庭で「先生に理不尽に怒られた」と、自分に都合よく話すこともあります。すると保護者から、厳しい反応が返ってくることがある。「うちの子ばかり注意されている」「先生の指導がおかしいのでは」。
正直に言えば、怖いです。保護者対応の重さは、経験した者にしかわからない消耗があります。「もう波風を立てたくない」と、指導の手をゆるめたくなる誘惑は、いつもすぐそこにあります。
でも、ここで引いたら、あの警察官と同じです。保護者に誤解されるリスクを恐れて指導をやめた瞬間、教室の信号は死にます。だから私は、腹をくくることにしています。誤解されてもいい。一時的に敵に回してもいい。それでも、子どもたちの前で、正しいことは正しいと言い続ける。それが、教室に立つ者の仕事だと思うからです。
ただし、闘い方には作法がある
覚悟の話をしてきましたが、感情に任せて闘えという意味ではありません。むしろ逆です。闘い方には、作法があります。
一つ、感情ではなく、事実と基準で語ること。「なんでそういう態度なの!」ではなく、「今は人の話を聞く時間です」。以前の記事でも書いた「淡々と言う」が、ここでも土台になります。感情の土俵に乗らず、基準だけを静かに示し続ける。
二つ、人格ではなく行動を扱うこと。「あなたはダメだ」ではなく「その行動は違う」。この線を守っている限り、指導は攻撃になりません。
三つ、記録と共有を怠らないこと。いつ、何があり、どう指導したか。管理職や学年に日頃から共有しておく。保護者から声が上がったとき、一人で抱え込まずに組織で対応できるかどうかは、この積み重ねで決まります。正しさを貫くためにこそ、守りを固めておくのです。
それでも、信じていること
反抗期の生徒との格闘は、消耗します。淡々と伝え続けても、すぐには変わりません。にらまれ、無視され、ときに保護者からも疑われる。報われない日のほうが多いかもしれません。
それでも、信じていることがあります。ブレない大人の存在は、必ず子どもに届く、ということです。
感情で怒らず、見逃さず、同じ基準で言い続ける大人。それは反抗期の生徒にとって、実はいちばん安心できる存在です。「この人は、自分がどんなに試しても、変わらない」。その確認が終わったとき、生徒は静かに矛を収め始めます。そして、まじめに信号を守ってきた生徒たちは、ずっと見ています。先生は見逃さなかった、という事実を。
おわりに
一人の信号無視を見逃すことは、その子への優しさではなく、学級全体への裏切りです。嫌われても、誤解されても、正しいことを言い続ける。それは、派手さのない、地味で苦しい闘いです。
でも、教室の信号を守れるのは、そこに立っている大人だけです。今まさに反抗期の生徒と向き合い、消耗しているすべての先生へ。あなたのその「見逃さない」は、確実に誰かを守っています。一緒に、腹をくくっていきましょう。
