6年生の社会科「世界の中の日本」で、日本・アメリカ・フランスの国歌を読み比べる授業を1時間でやりました。
国歌を授業で扱うと聞くと、身構える先生は多いと思います。歌うか歌わないかという話が、どうしても付いてくるからです。この記事で書くのは、その話ではありません。国歌を「歴史の資料として読む」授業の話です。そして、やってみて分かった反省点も、正直に書きます。
なぜ国歌なのか──「国の成り立ち」がいちばん短く凝縮されている
単元は「国家の成り立ち」。国がどう生まれ、何を大切にしてきたかを扱う内容です。
ここで教科書の記述を追うだけでも授業にはなります。ただ、6年生にとって「国の成り立ち」はどうしても抽象的です。そこで使えるのが国歌でした。国歌は、その国の歴史がいちばん短く凝縮された一次資料だからです。数百字のなかに、その国が何を経験し、何を誇りにしているかが入っている。
担任していた学級は、自己主張が強くない子が多く、全体の場での発言は控えめ。一方でペアやグループでの話し合いには前向きに取り組めるクラスでした。だから授業も、全体発表を主役にせず、グループで気づきを出し合ってから全体へという組み方にしました。
授業の流れ(1時間完結)
用意したのは、3か国の国歌の歌詞(日本語訳つき)とワークシートだけです。
導入(5分) 日本の国歌の歌詞を提示し、声に出して読む。「どんなイメージをもったか」をワークシートに書かせる。
展開1(10分) アメリカ・フランスの国歌の訳を、同じように読んで書かせる。独立戦争、革命という背景を、ここで短く補足する。
展開2(15分) グループで、3か国を比べて気づいたことを話し合う。ここで「国の成り立ちに関係ありそうな言葉を探そう」という視点だけ渡します。視点を渡さないと、比較は「どれが好きか」で終わります。
共有(10分) グループごとに気づいたことを発表。
まとめ(10分) 板書で3国のキーワードを整理する。日本=平和・長寿/アメリカ=自由・誇り/フランス=戦い・革命。そして最後の数分で振り返りを書かせる。
いちばんの発見は、「読む速さが変わった」こと
これは計画になかった発見でした。
3か国を音読させていくと、子どもたちの読む速さが、国によって勝手に変わっていったのです。日本の国歌はゆっくり、おごそかに読む。フランスの国歌はどんどん速くなる。アメリカは力強く。
誰も「そう読みなさい」とは言っていません。言葉の内容が、読み方を決めていたわけです。子どもたちからも「読む速さが全然ちがう!」という声が上がりました。
これは、資料を黙読させていたら絶対に起きなかった現象です。声に出すという活動が、分析より先に体感を連れてきた。比較の授業では、頭で比べる前に、身体で違いを感じさせる場面をつくれるかが効きます。
子どもたちの振り返りから
授業の最後に書かせた振り返りには、こんな言葉が並びました。
国歌は国の歴史によって作られていると思って、フランスがもし戦争に負けていたら国歌も変わっていたと思いました。
「もし負けていたら」という仮定が自分から出てきた。国歌を、与えられた事実ではなく歴史の結果として見ています。
私は国歌がどんな感じで作られているか知らなかったけど、日本は和歌と戦争の歴史、アメリカとフランスは戦争の歴史を元にして作られていることがわかりました。
フランスの国歌は「殺す」とかの言葉があってこわかったけど、それだけ自由を勝ちとろうとしたんだと思った。
この2つ目が、私はいちばん嬉しかった。「こわい」で止まらずに、「それだけ〜だったんだ」と背景に進んでいる。異文化理解でいちばん大事な動きが、6年生の中で起きています。
今日の授業でやった国以外の国歌も調べたいです。
これが出たら成功だと思っています。教師が3つ渡しただけで、子どもが4つ目を自分で取りに行こうとしている。授業後、自主学習ノートで「国歌」や「国旗と国歌の関係」を調べ始めた子もいました。
正直に書く、3つの反省
うまくいった話だけ書くのはフェアではないので、課題も書きます。
反省1:訳ばかり読ませて、原文を読ませなかった
これが最大の反省です。授業では日本語訳を中心に扱ったため、子どもたちは原文の言葉そのものに触れていません。「さざれ石」も、アメリカ国歌の「旗の星」も、原文にしかない表現です。国語的な言葉の力に踏み込むなら、訳と原文を並べる時間が要りました。
反省2:「歌わせる」ことのリスクをどう考えるか
今回は読むだけで、歌わせていません。これは意図的な判断でした。
国歌を歌う・歌わないという論点は、教育現場では慎重な扱いが必要な領域です。資料として読むことと、実際に歌わせることの間には、はっきり線があると考えています。歌唱を扱うなら、学校や地域の実態を踏まえた別の判断が必要です。この授業を真似する方は、そこだけは自分の学校の状況で判断してください。
反省3:1時間では足りなかった
「なぜ戦う必要があったのか」「なぜ平和が大切にされたのか」まで踏み込むには、1時間は短い。歴史や地理と関連づけるなら、2時間構成にすべきでした。
この授業でやらなかったこと──優劣をつけない
気をつけていたのは、どの国歌が良い・悪いという話にしないことです。
静かな国歌にも、激しい国歌にも、それぞれの歴史がある。授業の着地は「違いがある」と「違いには理由がある」まで。そこから先の受け止めは、子どもそれぞれでいい。
比較の授業は、放っておくと優劣の授業になります。でも比較の本当の価値は、「自分の当たり前が、当たり前ではないと知ること」にあります。日本の国歌しか知らなければ「国歌とはこういうものだ」で止まる。3つ並べた瞬間に、自分の知っていたものが「3つのうちの1つ」になる。この相対化が、国際理解の入口です。
この考え方は、文化人類学のまなざしで教室を見るで書いたことと同じです。相対化の刃は、必ず自分にも向く。
おわりに
特別な教材も、大がかりな準備も要りません。3か国の歌詞と訳を印刷して、声に出して読む。グループで比べる。それだけです。
それでも「もし戦争に負けていたら国歌も変わっていた」という言葉が、6年生から出てきます。比較は、教師が説明するより速く、子どもを問いに連れていきます。
国歌に限らず、「同じ枠で、中身が違うもの」は比較の教材になります。あいさつ、通貨、学校の一日。あなたの教室の子どもが、まだ相対化できていない「当たり前」は何でしょうか。
