『ウェルビーイングのつくりかた』要約|渡邊淳司・ドミニク・チェン著から学ぶ「よく生きる」デザイン

「よく生きる」とは何か——この問いに、デザインという切り口から向き合った一冊が、渡邊淳司・ドミニク・チェン著『ウェルビーイングのつくりかた 「わたし」と「わたしたち」をつなぐデザインガイド』です。テクノロジーと人間の関係を見直しながら、個人の幸福と社会の幸福をつなぐヒントが随所に散りばめられています。Kindleで引いた線をもとに、教育現場でも響く3つの視点を整理します。

目次

「制御」から「共生」へ——ウェルビーイングが問い直すもの

本書が最初に問うのは、私たちの社会を支配してきた「制御の思想」です。

「地球上で最も影響力の大きい生命種となった人類は、主に自分たちの利便性や効率性を求めてテクノロジーの開発に邁進してきました。それを支えてきたのは、『人間は自然を制御できる』という思想です。」

効率・利便性・制御——これらは一見ポジティブな言葉に聞こえます。でも著者たちは、その思想の根底に「自分の便益のために他者を利用する、“わたし”のための”あなた”という考えがある」と指摘します。

教育の場に置き換えると、思い当たる節はないでしょうか。「子どものためになっているか」と問い直したとき、実は管理や効率が優先されていることがあるかもしれません。ウェルビーイングは、そうした常識を一度立ち止まって再考することから始まります。

「わたし」から「わたしたち」へ——共生の感覚をどうつくるか

本書のキーコンセプトは、「わたし」と「わたしたち」の関係性です。

「歩いているときに”わたし”と”あなた”として始まった関係性が、走り始めるにつれて1つのシステム、つまり、”わたしたち”となった感覚があったのです。このような『する/される』(制御/被制御)の関係から、何らかの行為を楽しみながら一緒に実践する協働者になるということが、”わたし”から”わたしたち”へのひとつの道筋だと考えられます。」

「させる/させられる」関係ではなく、一緒に楽しみながら実践する協働者になること。運動会や学習発表会など、教室での集団活動を設計するとき、この視点はとても示唆的です。子どもたちが「自分たちのこと」として行事に向かえているか——そのための仕掛けが「わたしたち」感覚をつくります。

また著者は「共話」という概念も紹介します。相槌を打ちながら声を微小に重ね、話の内容を一緒につくっていく対話の形です。話し合い活動を「発表の場」にするのではなく、「一緒につくる場」にすることが、学びの深さを変えていくのかもしれません。

「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」——ウェルビーイングをデザインする3原則

本書が提案する具体的な設計指針が、「ゆ理論」と呼ばれる3つの視点です。

「まず、対象となる個々の”わたし”たちそれぞれにとって適切な、望ましい変化は何かを見定めること(ゆらぎ)。次に、個々の”わたし”たちにとって望ましい自律性のレベルを見極めること(ゆだね)。そして、ウェルビーイングを達成するという目的を設定せずに、行為の経験そのものが価値として感じられること(ゆとり)。」

ゆらぎは、人や価値観は常に変化するという前提に立つこと。昨日の子どもと今日の子どもは同じではない。その変化に気づき、柔軟に関わることが求められます。

ゆだねは、適切な自律性を与えること。失敗を恐れてすべて管理するのではなく、「初心者が自ら望んで挑戦したいことを認めて、失敗の過程から当事者としての気づきを獲得することのほうが大事なケースもある」と著者は言います。

ゆとりは、目標に向かって最短距離を走るのではなく、プロセスそのものを楽しむ時間をつくること。「試行錯誤するプロセスそのものを楽しむための時間的猶予を確保することが、逆説的に近道」——この言葉は、結果を急ぎがちな教育現場への問いかけでもあります。

この本が教育に伝えること

『ウェルビーイングのつくりかた』が一貫して問いかけるのは、「それは本当に、その人のためになっているか」ということです。効率や管理ではなく、一人ひとりの「よく生きるあり方」を出発点にすること。そして、その「わたし」たちが「わたしたち」へとつながっていく場をデザインすること。

教室という場は、まさにそのデザインの現場です。明日の授業で、少しだけ「ゆらぎ」「ゆだね」「ゆとり」を意識してみる。それが、子どもたちの「よく生きる」を支える一歩になるかもしれません。

けーわい先生
小学校教員
1987年生(メッシ世代)
ハウツーよりもコンセプト
子どもを主語に教育活動を!!
自分の人生も豊かにしよう!!
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