現職教育不要論|法的根拠のない「全員一律研修」が業務を圧迫する不条理

放課後、疲れ切った体にムチ打って参加する「現職教育」。形式的な指導案検討、形だけのワークショップ。この時間に、一体どれほどの意味があるのでしょうか。

「研修は教員の義務だ」という声が聞こえてきそうですが、私はあえて言いたい。今のスタイルの現職教育は不要である、と。そこには、多くの先生が目を背けている不都合な真実が隠されています。

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「研修の義務」と「現職教育」のすり替え

教育公務員特例法第21条には「絶えず研究と修養に励まなければならない」と定められています。しかし、ここで言う「研修」とは、必ずしも「校内で全員一律で行う現職教育」を指すものではありません。

法的根拠として持ち出されるのは「職務命令」ですが、教育効果が疑わしく、教員の心身を削るだけの研修に、どこまでの妥当性があるのでしょうか。個人の専門性を高めるべき研修が、いつの間にか「集団行動の確認作業」にすり替わっているのが今の現場です。

形骸化した研修が教員の質を下げる

そもそも、全員に同じ内容を強いる研修で、プロとしての専門性が高まるはずがありません。

  • 「とりあえず集まること」が目的化している
  • 講師を呼んでも、現場の状況と乖離した理想論ばかり
  • 研修の準備(資料作成など)のために、授業準備の時間が削られる

皮肉なことに、より良い授業をしたいと願う先生ほど、この「現職教育」によって貴重な時間を奪われ、結果として教育の質を下げるという負の連鎖に陥っています。

「自律的な研修」へシフトせよ

本当の意味での研修とは、教師が自らの課題に基づき、自発的に行うものです。専門書を読む、外部のセミナーに参加する、あるいは単に休息を取って心身を整える。それらすべてが、質の高い授業を提供するための「修養」のはずです。

法的根拠を盾にした「上意下達の現職教育」を廃止し、個人の裁量に任せる。これこそが、今求められている真の働き方改革であり、教員の専門性を尊重する姿ではないでしょうか。

自分の教育観や軸を大切にするならば、惰性で行われる研修に「NO」と言える勇気も必要かもしれません。


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けーわい先生
小学校教員
1987年生(メッシ世代)
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