「子ども主体の授業をしましょう」と言われて、困ったことはないでしょうか。私はありました。
グループ活動を増やしてみる。発言の機会をつくる。子どもに司会をさせる。それでも、授業の主導権はしっかり自分が握ったままでした。形だけ子どもに渡して、中身は渡していなかったのです。
この記事では、私が実際に手放したもの・手放さなかったものを書きます。
「子ども主体」の反対は、教師が話すことではない
誤解されやすいのですが、子ども主体とは「教師が黙ること」ではありません。教師が説明を減らしても、子どもの思考が動いていなければ意味がない。逆に、教師がしっかり語る授業でも、子どもの頭が全力で働いていれば、それは子ども主体です。
分かれ目は、問いを誰が持っているかだと思っています。教師の問いに子どもが答えている状態か、子どもが自分の問いを追いかけている状態か。ここだけが本質で、活動の形式は結果にすぎません。
手放したもの①:話し合いの「問い」
私の話し合い活動は、長いあいだ進行台本でした。「司会:〇〇くん、よろしくお願いします」で始まり、最後は「先生のまとめ」で終わる。形式は完璧で、中身は空っぽです。
変わったのは、問いの出発点が子どもではなかったと気づいたときでした。教師が用意した議題を、子どもが手続きに沿って処理していた。それでは主体になりようがありません。(→子ども主体の話し合いを育てる3つのステップ)
手放したもの②:係活動の管理
係活動も同じでした。係を決めるのも、分担を整えるのも、報告をまとめるのも教師。その結果、子どもたちは「先生のためにやる」ようになりました。
ある年、思い切って「クラスのためにあったらいいな」という係を子どもたちに決めさせたところ、自分たちで7つの係が生まれ、勝手に回りはじめました。そのとき出た子どもの言葉が忘れられません。「ゆずりあいが大事だけど、ゆずりあっても自分のやりたいことが大事」。管理を手放して初めて、こういう言葉が出てきます。(→係活動が劇的に変わる3つの仕掛け)
手放さなかったもの:意図と、視点
一方で、手放してはいけないものもあります。教師の意図です。
「何のためにこれをやるのか」を教師が持っていなければ、子どもに渡すものがありません。私は週予定を導入したとき、まず自分の意図(見通しをもってほしい、自分で予定を決められるようになってほしい)をはっきり伝えました。そのうえで「じゃあ、これは何のための紙だと思う?」と返した。すると2年生から「じぶんのよていを かきこむため」という、私の想定を超えた答えが返ってきました。
意図を隠して「どう思う?」と聞くのは、主体性ではなく丸投げです。先に渡す。そのうえで、子どもの言葉で言い直させる。この順番が要です。
もうひとつ手放さないのが、視点です。比較の授業で「国の成り立ちに関係ありそうな言葉を探そう」と視点だけ渡すと、子どもは自力で深く読みます。視点を渡さないと、比較は「どれが好きか」で終わります。
子ども主体は「やらせない」判断も含む
最後にひとつ。話し合いが硬いとき、私は無理に話し合わせないことにしました。
発言にはコストがかかっています。間違えたら恥ずかしい、変だと思われたくない。大人だって職員会議で挙手するのは腰が重い。子どもならなおさらです。コストが高い状態で「積極的に発言しよう」と呼びかけても、発言できる子だけが目立つ授業になるだけです。
コストを下げる(ペアから始める、書いてから話す、間違いが歓迎される空気をつくる)ほうが先。活動をさせないという判断も、子ども主体の一部です。(→「発言のコスト」から考え直す)
おわりに
子ども主体の授業づくりで私がやったのは、問いと管理を手放し、意図と視点は手放さないということでした。
明日からできることを一つ挙げるなら、次の話し合いで議題を子どもに決めさせてみることです。うまくいかないかもしれません。でも、教師が用意した議題では絶対に出てこない言葉が、一度は出てきます。
