夏休みに入って、気づいたことがある。朝、勤務時間どおりに出勤して、間に合う。ただそれだけのことが、妙に「楽」なのだ。
そして、その感覚に少し立ち止まった。定時に出勤して間に合うことが「楽」に感じられるって、おかしくないか。それはつまり、普段は定時に出勤したのでは間に合わない、ということの証明ではないのか。
朝の30分のズレは、誰が埋めているのか
多くの学校で、教員の勤務開始時刻より前に、子どもたちは登校してくる。勤務開始が8時15分なら、子どもは7時45分にはもう校門をくぐっている。この30分のズレを、制度は説明してくれない。
でも現実には、子どもが校内にいる以上、誰かが見ていなければならない。事故が起きれば安全管理の責任を問われる。だから教員は、勤務時間より早く出勤する。誰に命じられたわけでもなく、「そういうものだから」と。
つまりこの30分は、教員の善意の勤務時間外労働で埋められている。長年そうやって回ってきたために、誰もこれを「サービス」だと認識していない。保護者も、社会も、そして当の教員自身さえも。夏休みの定時出勤が楽に感じるのは、この見えない30分が消えるからだ。
「気合で早く来る」は解決策ではない
この問題の厄介なところは、個人の努力で解決したように見えてしまうことだ。早く来られる教員が早く来る。それで現場は回る。回ってしまうから、問題として顕在化しない。
でも、勤務時間の前に労働が常態化している状態を、個人の気合で支え続けるのは、どう考えても持続可能ではない。育児や介護で朝に余裕のない教員はどうなるのか。「早く来られる人」の善意に依存した仕組みは、その人たちに静かにしわ寄せを集めていく。
打ち手は、実はいくつかある
では、どうすればいいのか。挙がっている選択肢を整理してみる。
一つ目は、時差出勤(早番・遅番制)。早番の教員が朝を見て、その分早く退勤する。理屈は通っているが、現実には「早く帰れる」が機能しにくい(結局、退勤時刻まで仕事がある)という課題が残る。
二つ目は、開門時刻を勤務時間に合わせる。「開門は8時5分です」と周知し、それより前は校門を開けない。教員の勤務実態に、子どもの登校時刻を合わせる正攻法だ。実際に踏み切った学校・自治体もある。ただし、早く送り出したい家庭との調整と、校門前に子どもが溜まる問題への手当てが要る。
三つ目は、朝の見守りを教員以外に移す。地域ボランティアや自治体雇用のスタッフが朝の時間帯を担う。「朝の校庭は地域の事業」と切り分ける考え方だ。本質的にはこれが筋だと思うが、予算と人の確保が壁になる。
四つ目は、「朝の居場所」事業。学童保育の朝バージョンとして、早く来たい子の受け皿を制度としてつくる。国レベルでも動きが出てきている方向性だ。
学校にできること、社会に求めること
整理すると、学校が単独で動けるのは開門時刻の見直しくらいで、残りは自治体や社会の制度設計の話になる。だからこの問題は、一つの職員室の工夫では解決しない。「相当根深い」と言われるゆえんだ。
でも、根深いからこそ、まず必要なのは「これはおかしい」と言語化することだと思う。朝の30分が善意で埋められている事実。それが当たり前ではないという認識。夏休みに定時出勤が楽に感じられるという、この小さな違和感こそが、その入口になる。
おわりに
夏休みの朝、勤務時間どおりに出勤しながら思う。この「楽さ」が、一年中の当たり前になる日は来るのだろうか。
教員が勤務時間どおりに働ける。ただそれだけのことが、特別なことであってはいけないはずだ。朝の30分は誰の仕事なのか。この問いを、善意でうやむやにせず、社会の設計の問題として考え続けたい。
