「自己肯定感を高めましょう」と言われます。でも、具体的に何をすればいいのかは、あまり語られません。褒めればいいのか。認めればいいのか。
私は、褒め方を工夫することでは自己肯定感は育たないと考えています。むしろ教室の設計そのものの問題です。この記事では、私が実際にやってきたことを書きます。
「褒める」だけでは育たない理由
褒めることが悪いわけではありません。ただ、褒めるという行為は評価する側とされる側を固定します。「先生に認めてもらえた自分はOK」という感覚は、裏を返せば「認めてもらえなければOKではない」ということです。他者評価に依存した自己肯定感は、他者評価が消えた瞬間に崩れます。
私自身、公平であろうとして失敗したことがあります。小学校で女子バスケットボールを指導していたとき、一人を褒めると褒められなかった子の顔が変わる。それが積もると空気が変わる。悩んだ末に「全員を平等に」→「それなら全員を褒めない」→最後は「全員に反応しない」という、笑うしかない着地に行き着きました。褒めることを軸に公平性を保とうとすると、どこかで破綻します。
育つのは「自分で見つけたとき」
では何が効くか。私の実感では、子どもが自分で自分の変化に気づいたときです。
振り返りジャーナルを続けていると、子どもは毎日、自分が何を感じ何をがんばったのかを言葉にします。日々流れていく出来事を、立ち止まって振り返る。その繰り返しが、自分という存在に光を当てます。これは教師が与える評価ではなく、本人が発見する事実です。(→書くことが自己肯定感を育てる理由)
とくに効くのが、年度末に1年分のジャーナルを本人に読み返させることです。4月の自分の字と3月の自分の字が並んでいる。書ける量も、考えていることの深さも違う。成長を、教師の言葉ではなくその子自身の筆跡が証明してくれます。これに勝る自己肯定の材料を、私は知りません。
「1行の日」を認められるか
ここが分岐点です。自己肯定感を育てたいと言いながら、書く量が少ない子に「もっと書きなさい」と言ってしまうと、その子は「今の自分では足りない」と学習します。
私が続けていたのはひとつだけです。一言しか書いていない日でも、否定せずにコメントを返す。こちらも一言でいい。その往復を続けていると、ふだん1行の子が、ある日急にびっしり書いてくることがあります。量を問わないから、書ける日が来る。
授業の中では「5回中3回勝てる」課題を出す
自己肯定感は、成功体験の設計でもあります。心理学の実験で、輪投げのモチベーションが最も高くなるのは5回投げて3回成功する距離だと分かっています。簡単すぎても、難しすぎてもやる気は落ちる。
授業の課題も同じです。全員ができる問いは退屈で、誰もできない問いは無力感しか残しません。「ちょうど半分より少し勝てる」難易度に置けるかが、教師の設計力です。
教室の空気そのものが土台になる
もうひとつ、見落とされがちな条件があります。間違えても大丈夫な教室かどうかです。
発言には常にコストがかかっています。間違えたら恥ずかしい、変だと思われたくない。このコストが高い教室では、どれだけ褒めても自己肯定感は育ちません。挑戦した回数が増えないからです。ペアから始める、書いてから話す、教師が自分の間違いを見せる——コストを下げる工夫が、そのまま土台になります。
おわりに
自己肯定感を高める授業とは、褒め言葉のうまい授業ではなく、子どもが自分の変化に気づける仕組みがある授業だと思っています。
書いて残す。読み返させる。量を問わない。少しだけ手が届く課題を出す。間違いのコストを下げる。どれも地味ですが、この5つは教師の性格に関係なく実装できます。
