懇談の終わりに、こう言ったことがある。「何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね」。
言った直後、自分の言葉の軽さに気づいた。頼っていいと言われて、実際に頼れる人がどれだけいるだろうか。何に困っているかを説明する言葉を持ち、担任に相談してよい範囲を判断し、そのうえで電話をかける——そのハードルの高さを、言った側の私は分かっていなかった。
今回は、「頼ってください」の代わりに担任ができることについて書きたい。キーワードは、制度情報の翻訳者になる、である。
情報は「あるだけ」では届かない
日本には、子育て家庭を支える制度がいくつもある。就学援助、高校の就学支援金、給付型奨学金、各自治体の独自支援。多くは、要件を満たせば使える。
問題は、これらの情報が「知っている人だけが使える」構造になっていることだ。制度は申請主義で、知らなければ存在しないのと同じ。しかも案内はプリント1枚、専門用語まじりの文面で、忙しい家庭の目には留まらない。
つまり、支援が届かない理由は「制度がないから」ではなく、情報が翻訳されていないからであることが多い。ここに、担任にできる仕事がある。
担任は「制度の窓口」ではなく「翻訳者」でいい
誤解のないように書くと、担任が制度の専門家になる必要はない。申請を代行する立場でもないし、家庭の経済状況に立ち入る権限もない。
担任にできるのは、もっと手前のことだ。「そういう制度がありますよ」と、分かる言葉で伝える。それだけである。
たとえば、進路の話題が出たときに、「高校は授業料の支援制度があるので、費用面の見通しはこのあたりの窓口で相談できます」と一言添える。修学旅行の積立の話が出たときに、「就学援助という仕組みがあって、条件に当てはまるご家庭は費用の一部が支援されます。案内のプリントを改めてお渡ししますね」と伝える。
専門用語を、生活の言葉に置き換える。どこに聞けばいいかを示す。この橋渡しが「翻訳」だ。
伝えるときに気をつけている3つのこと
ただし、この話題はデリケートだ。伝え方を間違えると、「うちが困っていると思われている」と受け取られかねない。私が気をつけていることを3つ挙げる。
①特定の家庭にだけ言わない。「お宅は大変そうだから」という前提で情報を出すのは、たとえ善意でも失礼になりうる。制度の案内は、懇談で全家庭に同じように触れる、学級通信で全体に流す、といった形にする。必要な人が、自分で拾える形にしておくのが基本だ。
②「使うかどうか」には踏み込まない。情報を渡したら、そこで手を離す。使うかどうかは家庭が決めることで、担任が確認したり勧めたりするものではない。翻訳者の仕事は、伝わる形にして渡すところまでである。
③正確に、曖昧なところは曖昧なまま。制度の要件や金額は年度で変わるし、自治体差もある。うろ覚えで断定すると、期待させて裏切ることになる。「詳しい条件は窓口で確認してください」「学校の事務室でも案内ができます」と、確実な出口につなぐ形にする。担任が判定者になってはいけない。
言葉の壁がある家庭に対して
日本語でのやりとりに不安のある保護者がいる場合、この「翻訳」は文字通りの意味も持つ。
プリントは配れば届く、というのは日本語が読める前提の話だ。翻訳アプリの活用、ふりがな付きの文書、口頭での短い確認、必要に応じた通訳支援の依頼。自治体によっては翻訳サービスや相談窓口が用意されている場合もあるので、学校として何が使えるのかを事前に把握しておくと動きやすい。
ここでも原則は同じだ。特別扱いをするのではなく、情報が届く形を人によって変える。同じ紙を配ることが平等なのではなく、同じ情報が届くことが平等なのだと思う。
「頼ってください」の代わりに
冒頭の反省に戻る。「何かあれば頼ってください」は、相手に発信の負担を全部預ける言葉だ。それよりも、こちらから具体的な情報を、分かる言葉で、全員に届けておく。そのほうが、ずっと実効性がある。
制度は、使われて初めて意味を持つ。そして、家庭と制度の間には、たいてい情報の断絶がある。担任は、毎日子どもと会い、年に何度も保護者と話す、数少ない接点だ。この位置にいる者ができる仕事は、思っているより多い。
おわりに
担任は、家庭の問題を解決する立場にはない。それでも、情報を翻訳して渡すことはできる。プリントの言葉を生活の言葉に置き換え、窓口を指し示し、あとは家庭の判断に委ねる。
「頼ってください」と言う代わりに、頼らなくても届く形をつくる。それが、担任にできる静かな支援なのだと思う。
