先日、文化人類学のまなざしで教室を見るという記事を書きました。今回は、その下敷きになった一冊を紹介します。
『30分でわかる!文化人類学入門』。Kindleで読める入門書です。タイトル通り短時間で読み切れる分量ですが、読み終わったとき、私のハイライトは88か所になっていました。入門書でこれは、私にはあまりないことです。
どんな本か
文化人類学の全体像を6章で通す構成です。文化とは何かから始まり、家族・親族、宗教・呪術、経済・政治、そしてグローバル化まで。学説の名前も一通り出てきますが(ギアツの「意味の網の目」、サピア=ウォーフの仮説、ヴァン・ジェネップの通過儀礼など)、説明は具体例ベースで、前提知識はいりません。
本書の立ち位置は、冒頭のこの一文に尽きます。
本書のテーマである「文化人類学」は、まさにこの「当たり前を疑う」ところから出発する学問です。
この「当たり前を疑う」が、教員にとってどれだけ実用的な道具になるか。私が刺さった箇所を3つに絞って書きます。
刺さった箇所①:文化相対主義は、子ども理解の技術になる
文化相対主義とは、ある文化の価値観や行動を、自分たちの文化の物差しで測って評価してはならないという考え方です。
これは異文化の話として書かれていますが、そのまま教室で使えます。理解できない行動をとる子を、大人の物差しで「おかしい」と裁った瞬間に、観察は終わる。その子の内側の論理で理解しようとしたときに、初めて見えるものがある。
著者は、この学問で身につくのは「自分がかけている色眼鏡の存在を自覚する」ことだと言います。眼鏡を外すことは誰にもできない。でも、かけていると知っている人と知らない人では、見え方がまるで違います。
刺さった箇所②:学校は通過儀礼でできている
通過儀礼の最大の目的は、個人の内面を劇的に変化させ、その社会が求める価値観や規範を深く刻み込むことです。
本書は七五三や成人式、大学の入学式や企業の新人研修を、現代の通過儀礼として挙げています。読みながら、学校はこの装置だらけだと気づきました。入学式、始業式、運動会、卒業式。どれも「非日常の体験を通して、古い自分と決別させ、新しい役割を引き受けさせる」仕掛けです。
だから行事のあとに子どもが変わるのは、感動したからというより、儀礼が設計通りに機能したからだと読めます。この視点を持つと、行事を「何となく感動的なもの」ではなく「何を刻み込む装置なのか」として設計できるようになる。これは行事の多い学校現場でこそ効く見方だと思います。
刺さった箇所③:「いじめ」と読むか、「平等維持」と読むか
いちばん立ち止まったのはここです。狩猟採集民の社会について書かれた箇所。
彼らは権力が一人に集中することを極端に嫌い、誰かが威張り始めると、冗談を言ってからかったり、無視したりして、全員が平等であることを維持しようとします。
私はこの箇所に「いじめの是非」とメモを付けていました。からかいと無視。教室でいじめと呼ばれる行動と、形の上では同じものが、人類のいちばん古い社会では「平等を守る仕組み」として働いている。
誤解のないように書きますが、これはいじめを正当化する話ではありません。逆です。教室で起きるからかいや無視の中に、「突出した誰かを引きずり下ろして集団の平等を保とうとする」古い回路が動いているのだとしたら、「みんな仲良くしましょう」という呼びかけだけで消えるはずがない。行動の形を裁く前に、その行動が何を守ろうとしているのかを見る。対処の解像度は、そこから変わると思っています。
おまけ:『イン・ザ・メガチャーチ』と同じ話をしていた
グローバル化の章に、こんな一節があります。
均質化への圧力が強まれば強まるほど、人々は「自分たちは何者なのか」というアイデンティティの拠り所を求め、地域の伝統や宗教、民族的なつながりをより強く意識するようになります。
ここに私が付けたメモは「アサイリョウやん(笑)」でした。先日書いた『イン・ザ・メガチャーチ』の記事で扱った構図——共通の物語を失った社会で、人が推し活のような熱量の集まる場所に拠り所を求める——と、まったく同じことを、人類学は別の言葉で説明していました。小説と学問書が同じ場所を指していると、その指す先はたぶん本物です。
おわりに
文化人類学が教えてくれるのは、私たちが信じる常識は、決して絶対的なものではないという謙虚さです。
教室は小さな社会です。そこには文化があり、儀礼があり、序列の力学があり、「当たり前」があります。その運営者である教師が、自分の常識を絶対と思い込んだとき、教室は一番苦しくなる。
30分で読める入門書ですが、持ち帰れるのは「自らの常識の殻を破り、多様な世界を面白がるしなやかな心」——本書の締めの言葉です。教員の夏休みの1冊に、ちょうどいい分量だと思います。
あわせて読みたい
▶ 文化人類学のまなざしで教室を見る──「当たり前」を疑う技術
本書の視点を、教室の見方にそのまま応用した記事です。
▶ 『イン・ザ・メガチャーチ』が突きつけるもの──「物語」で人を動かす教師へ
「物語と拠り所」の話を、小説の側から書いた記事です。
