「子どもとの信頼関係が大事」とは、誰もが言います。でも、どうやって築くのかは、あまり具体的に語られません。
私は長く担任をしてきて、信頼関係は言葉や人柄ではなく、教室の設計で決まると考えるようになりました。この記事では、実際にやってきたことと、失敗したことを書きます。
まず前提:「先生だから」は、もう効かない
かつては、教師という立場そのものに一定の力がありました。いまは違います。子どもは肩書ではなく、その人そのものを見て、従うかどうかを決めています。特に思春期の生徒はそうです。
これは悪いことではありません。ただ、権威という前提が消えた場所では、信頼関係を築くしか方法がないということです。近道はなく、日々の積み重ねしかありません。
設計1:1対1の回路を、人数分つくる
全体に向けた「みんな仲良くしよう」という語りかけより、一人に向けた小さな言葉のほうが人を動かします。
私が毎日やっていたのは、振り返りジャーナルです。子どもが一日を書き、私が一言返す。30人学級なら、そこに1対1の回路が30本できます。1冊30秒、30人で15分。「時間がない」で止まらない量です。(→30人分を15分で回す時間術)
大事なのは中身より途切れないことです。一言しか書いていない日でも、否定せずに一言返す。この往復を続けていると、ふだん1行の子が、ある日急にびっしり書いてくることがあります。書きたいことができた日に、書ける場所と読んでくれる相手が用意されている。信頼関係とは、そういう状態のことだと思っています。
設計2:「見ている」を証明し続ける
子どもが安心するのは、褒められたときではなく、自分が見られていると分かったときです。
ジャーナルのコメントで有効だったのが、過去の記述を引くことでした。「前は〇〇って書いてたよね」。これは、読み続けていなければ書けません。読んでいることの証明になります。
もうひとつ、子どもの言葉を学級通信に載せると、書くことの意味がその子の中で変わります。翌日、他の子の書き方まで変わることがあります。
設計3:公平性を、自分の器用さに頼らない
ここは私の失敗談です。
小学校で女子バスケットボールを指導していたとき、公平であろうとして苦労しました。一人を褒めれば、褒められなかった子の顔が変わる。悩んだ末に「全員を平等に」→「それなら全員を褒めない」→最後は「全員に反応しない」という、笑うしかない着地に行き着きました。
あとで分かったのは、基準を自分の胸のうちに置いたまま公平であろうとしたのが間違いだったということです。基準は外に置く。誰にでも見える形にする。評価でも、順番でも、ルールでも同じです。(→成績の付け方の話)
設計4:叱るときは、個別に、短く
人前での叱責は、指導の中身より屈辱のほうが長く残ります。全体の場で一人を注意すると、その子との信頼は削れ、周りの子には「自分もああなるかもしれない」という緊張が残ります。
一方で、見逃さないことも信頼の一部です。一人の違反を見逃し続けると、「あの道は捕まらない」と知られた道路と同じことが起きます。注意し続けることは、排除ではなく包摂です。個別に、短く、しかし必ず。(→一人の「信号無視」を見逃した先にあるもの)
安心を測る方法:ギャップを見る
最後に、教室の状態を確かめる観察法をひとつ。
休み時間や写真撮影ではあれだけ弾けているのに、授業になると誰も口を開かない。この落差の大きさが、教室の安心度を測る指標になります。ギャップがあること自体は正常です(大人も飲み会と会議では別人です)。問題は、その差が極端なときです。
差が大きいなら、授業中の発言コストが高すぎるということ。ペアから始める、書いてから話す、教師が先に間違えてみせる。コストを下げることが、そのまま安心につながります。(→「ギャップ」で学級を観察する方法)
おわりに
信頼関係は、特別なイベントで一気に育つものではありません。毎日の小さなやりとりの積み重ねによって育つものです。
1対1の回路をつくる。見ていることを証明する。基準を外に置く。個別に、短く叱る。発言のコストを下げる。この5つは、教師の性格や話術に関係なく実装できます。信頼は人柄ではなく、設計です。
